第五十七話 「子供の純粋と残虐性」 2008.5.12 浪速の龍

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 子供は国家の宝である。こんな言葉がささやかれている。日本の子供の誕生が年々減ってきている。
団塊の世界とは、昭和22〜24年をさす。その年は、年間250万人の子供が誕生している。平成1
8年の出生率は130万人と激減。約半分の出生率である。子供が減るという事は、経済が滞る事であ
る。当たり前の事であるが、経済活性化の一番の妙案は「子供人口の増加」である。
米国の経済発展は、人口増加施策である。米国人純粋の増加ではなく、異民族の受入施策により人口
の増加を図り、経済発展を維持してきた背景がある。(ここ数十年、自動車と住宅の現象が見られな
い)また、多くの米国債を発行し、米国にお金が集中する施策を取っているわけである。話が横道にそ
れてしまったが、先進国は、確実に人口減になっており、反対に後進国は人口増になっている。

 子供は、純粋である。美味しいものは美味しい。うまくないものはうまくない。楽しい事は、楽し
い。楽しくない事は楽しくない。要するに周りの環境に左右されることなく、自己判断で感じたままの
判断を下せるのが、子供である。美味くなければ、食べないし。嫌な人には近寄らない。しかし、年を
重ねる事に、この判断基準が純粋でなくなる。打算が入ったり、他人を気遣ったりしてくる。大人は、
高額の商品に対しては、大切なものであり、安価なものはどうでも良い扱いをする。しかし、子供の価
値観は良いか悪いかである。自分にとって大切な物は大切であり、価格の問題ではない。
 大人になっても、大切な物は大切であり、美味しい物は美味しいのである。この様な誰にも気兼ねな
く、自己判断出来る人間になるべきである。反対に強い物に同調したり、遠慮したりしていては、自己
表現出来ない。現代社会の悪い面は、ここにも原因があると分析する。自己表現しないで、強い者に合
わせ同調していく、その様な者が偉くなって会社なり、国家なりのリーダになった時が悲劇にの始まり
だ。何が正しく、何が正しくないのか、常日頃の努力、志が大切だと思う。

 子供の残酷性
 子供は色々な経験が少ない。経験が少ないと物事の「限度」が理解出来ない。人を叩けば、相手は痛
いだろう。道具を使って叩けば、死に至るかも知れない。その限度を理解出来ないのだろう。しかし、
最近の子供達はその様な経験をしないで大人になっていく。親が全て管理し、あれは駄目、これは良い
と全て親の判断のもと成長していく。この様な人間が大人になった時、「限度」の解らない人間が形成
されてしまう。最近、とんでもない事件が紙面をにぎわしている。この事は、限度の知らない人間がド
ンドン増殖している事になる。
 子供と大人の区分が出来ない新人類の誕生なのだろう。私には理解出来ない世の中になりつつある。
最近の若い者は、とよく言われてきたが、今の政治の世界も嘆かわしい。自分たち(個人)の事ばかり
考えている。国民不在の政治感が強く出ているように感じる。野党は何でもかんでも与党に反対すれば
立場が保てるが如く振る舞っている。本当に大切なものを見失っているのでは無いだろうか?今の政治
家は2世、3世ばかりが誕生している。何の痛みも解らない人種である。国民の為の政治が出来るのだ
ろうか。例えば老人医療費負担の件であるが、16万円の年金の中から6万円の負担だとしたら、その
老人は生活出来るのだろうか・・?これが現実である。最終的には誰も助けてはくれない。自分自身で
守っていく事しか出来ない。何の能力も無い人間は、死ねと言っているようなものである。
 子供の残虐性は、そのまま大人になりきれない人間の残虐性と同じである。嫌な世の中になったもの
である。

                                           
                                         以上



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