特別編2 「上杉鷹山の読書感 2004.05.07 浪速の龍

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 今日、上杉鷹山公の小説を読みました。
前々から一度は読みたいと思っていた本です。私も米沢には格別な思いがあり、上杉神社にある鷹山公
の石碑も見学しております。北海道に生まれ東京、神奈川、大阪と転勤し、まさか東北に住むとは思っ
てもいませんでした。在住目的は、ビジネスが中心で私が生まれ育った土地ではありません。しかし、
よく言ったもので「住めば都」になり、すっかり東北の人間になったような気がします。特に宮城、岩
手、山形は、他県の土地ような気がしないのです。特に商売上の強い関係があった山形県米沢市の人脈
が多かったからかも知れません。最初の頃は、よそ者扱いで2〜3年は相手にもして頂けませんでし
た。人柄は良いのですが、頑固と言いますか、保守的と言いますか、とにかく他人を受け入れない風習
があるようです。しかし、身内になるとその温かさは、全国一のような気がします。その名のこりと言
いますか、伝統と言いますか、その文化は今でも生きているような気がします。読んでいない方々も
多々いると思いますので、鷹山の概略を記しますと以下のような履歴があります。

「上杉鷹山は、宝暦元年(1751年)7月20日、日向国(ひゅうがのくに〜宮崎県)高鍋藩主「秋月種美
(たねみつ)」の次男として、江戸で生まれました(幼名「直松」)。母の「春姫」は、四代目米沢藩
主「上杉綱憲(つなのり)」の孫娘でした。 宝暦10年(1760年)に八代目米沢藩主「上杉重定(し
げさだ)」の養子となり、元服(成年の儀式)の際に名を「治憲(はるのり)」とします。翌年の明和
4年(1767年)に、家督を継いで弱冠17歳で九代目米沢藩主となった治憲(鷹山)は、傾いた米沢藩を
救うため、まず「大検約令」発し、役人の贅沢や無駄を正すことから、藩政改革への第一歩を踏み出し
ます。その後、農政を改革し、教育を進め、産業を発展させていくのですが、最も大きな産業開発は
「織物業」で、置賜特産の青芋(あおそ)を原料とした縮織(ちぢみおり) に始まり、これらを基とし
て養蚕(ようさん)・絹織物へと発展していきます。 鷹山という名前にしたのは、52歳からで、文化
3年(1806年)には、56歳となった鷹山が「養蚕手引」を発行・配布します。文政5年(1822年)に72
歳で死去しますが、生涯を米沢藩の人々のために尽した功績は、初代 上杉謙信と並んで後世に語り継
がれています。」有名な言葉に「成せばなる 成さねばならぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」
と言うのがありますが、全くその通りだと思います。
若干17歳の若者が藩政改革に乗り出す姿は、読んでいて涙が出てくる感動を与えてくれました。確
かにアメリカの大統領JFKが、日本で一番尊敬する政治家は?→上杉鷹山だと言った意味が分かったよ
うな気がします。

今、日本は「厚生年金の問題」で揉めていますが、国民の義務である厚生年金の未払い者が4割も存
在すると言います。その法律を作る政治家にも未払い者が続出するという呆れた現象が出ています。も
っと呆れた事にその厚生年金を管理する官僚の節度の問題まで発生してきました。H18年には、財源不
足のため掛け金の値上げを実施すると言います。当時の上杉藩ではありませんが、財源がないのに毎年
同じ予算を組み、赤字の垂れ流しを実施しています。国家の借金は数百兆円あります。国民のお金を湯
水の如くODAに注ぎ込み、国連にも数百億円単位で協力金を捻出しています。
お隣の国、韓国、中国にもODA名目で多額のお金を出していますが、日本国の教科書問題、総理の
靖国神社詣で等、国内の問題にまで口を出す始末です。完全に舐められているのでしょう。国内での外
国人犯罪(中国系が一番多く4割を占めている)も強行に抗議すべき内容ですが、その様な姿があり
ません。米沢藩は、豊になる事によって人間としての尊厳も芽生え、百姓が作った野菜等、無人のお店
でもお金を払って行く様になったそうです。また、盗人も乞食も極端に減った様です。文化の進歩って
何だろう。豊かな国に来て悪さをする国家に対して、断固たる対応をする事が国民に対する、政治家の
勤めだと思いますが・・・?

                                以上


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